Facebookで、スイス・ルツェルンのランドマーク「シャトー・ギュッチ」が売却に出されているというニュースをご紹介した。

現オーナーは2021年に約1,650万スイスフランでホテルを取得し、その後も改修などに約2,400万スイスフランを投じたとされる。現在の希望売却価格は3,500万スイスフラン。しかし、その背景にはロシアによるウクライナ侵攻後の地政学的リスクがあり、ホテルそのものではなく、オーナーを取り巻く環境の変化が資産価値や売却にも影響を及ぼしているという内容だった。

私はこのホテルを何度か利用したことがある。フィアヴァルトシュテッテ湖を見下ろす丘の上に建つ姿は、まさにルツェルンを象徴するホテルであり、その売却のニュースには少なからず驚かされた。

その記事を読んで間もなく、今度は「山々の女王」と称されるリギ山の歴史的ホテル「ホテル・フェルクリン」が、440万スイスフランで売りに出されているというニュースが目に留まった。

1875年創業のベル・エポック様式のホテルで、37室の客室を持ち、リギ観光の黄金期を今に伝える貴重な建築物である。1970年代後半に営業を終えた後も、オーナー家が長年にわたって大切に維持してきた。しかし、文化財として保護されているため改修には大きな制約があり、新たな所有者には資金力だけでなく、歴史的建築物を守りながら活用する覚悟も求められる。

この二つの売却はまったく異なる事情によるものだ。

シャトー・ギュッチは地政学リスクによるオーナーシップの問題であり、ホテル・フェルクリンは歴史的建築物の維持と事業承継という課題である。

しかし、私にはこの二つの記事が共通して、一つの問いを投げかけているように思えた。

ホテルの価値とは、いったい何なのだろうか。

ホテルは宿泊業である。

同時に、不動産業でもある。

土地や建物という巨額の資産を保有し、金融市場や金利、資産価値の変動と無縁ではいられない以上、その側面を否定することはできない。

しかし、私はホテル経営に携わってきた者として、ホテルを「不動産商品」としてだけ語る風潮には、以前から違和感を覚えてきた。

ホテルは、マンションやオフィスビルとは本質的に違う。

そこには旅人が集い、人生の節目を祝い、地域の文化と出会い、思い出を持ち帰る時間がある。

とりわけヒストリックホテルは、その土地の歴史や観光文化を受け継ぎ、地域のアイデンティティを象徴する存在でもある。

もちろん、利益なくしてホテルは存続できない。健全な経営は不可欠である。

しかし、収益性だけを基準にすれば、多くのヒストリックホテルはホテルとして運営するより、高級レジデンスや別荘へ転用した方が合理的という結論になるかもしれない。実際、ヨーロッパではそのようなコンバージョンが各地で進み始めている。

それで本当に良いのだろうか。

ホテルが一つ姿を消すということは、建物の用途が変わるだけではない。その土地の観光の歴史や景観、人々が積み重ねてきた記憶までも失われる可能性がある。

ホテルは「平和産業」と言われる。しかし、その平和が揺らげば真っ先に影響を受ける産業でもある。そして今、ホテルを取り巻く課題は地政学だけではない。事業承継、文化財保全、人材不足、建築コストや維持管理費の高騰など、経営環境はますます複雑になっている。

だからこそ、これからのホテル経営には、「どう利益を生み出すか」という視点だけでなく、「どのような価値を未来へ受け継ぐのか」という視点が、これまで以上に求められるのではないだろうか。

ホテルは利益を生み出す資産であることに違いはない。しかし同時に、人を迎え、その土地の歴史や文化を次の世代へ伝えていく社会的な役割も担っている。

私は、その価値を不動産という尺度だけで評価してほしくない。

スイスで相次いだ二つのホテル売却の記事は、そんなことを改めて考えさせてくれた。