ー救命救急医療とホスピタリテイ、人的資本の原点とはー
一本の映画が、遠い日の記憶を呼び覚ますことがある。
東海テレビ放送が制作したドキュメンタリー映画『その鼓動に耳をあてよ』は、
名古屋掖済会病院救命救急センターの日常を丹念に見つめながら、「救命救急医療」という営みの本質をつぶさに映し出している。
そこにあるのは、卓越した医療技術や、極限の現場が生み出す緊張感だけではない。
寧ろ、強く印象に残るのは、
『人を診る』とは、いったいどういうことなのか。
と、いう問いそのものである。
スクリーンに映し出されるのは、傷病を抱えた「患者」だけではない。
その人の背後にある家族、仕事、暮らし、孤独、そして一人一人が背負ってきた人生が、静かに垣間見える。
救命救急センターに運ばれてくる人は、医学的に処置される対象であると同時に、その人にしかない人生を生きてきた存在であり、その人生にはその人を待つ誰かがいる。
映画は、そうした現実をことさらに演出することもなく、ただ在りのままを映し続ける。
だからこそ、観る者の中に一つの問いが残っていく。
医療が向き合っているのは「病」なのか。
それとも、「病を抱えた人」なのか。
その問いに触れたとき、私の記憶は40年近く前へと遡っていった。
19歳だった私は、名古屋第二赤十字病院で、ひとりの若い研修医と出会った。
北川喜己先生である。
当時の私は、この先生が後に日本の救命救急医療の発展に尽力され、名古屋掖済会病院の病院長として地域医療を支える存在になられることなど知る由もなかった。けれど、歳月を経た今でも、鮮明に残っているものがある。
それは、
診断名でもない。
処方された薬でもない。
まして、診察室で交わした言葉のひとつひとつでもない。
心に鮮やかなのは、
ひとりの人間として向き合っていただいたという「記憶」である。
不安の中にいた19歳の私を、単なる「患者」としてではなく、ひとりの人間として受けとめてくださった。
あのまなざしは、当時の私の尊厳をそこはかとなく支えてくれていたのだと思う。
ただ、その意味を19歳の私はまだ深く理解できていなかった。
その後、私は「ホテリエ」として、実に多くの人々と出会い、人の人生のさまざまな場面に立ち会うことになり、
実に長い歳月をかけて、ようやく私は少しずつ気づかされていくことになる。
人は、問題が解決したから救われるのではない。
自分が一人の人間として受けとめられ、その尊厳を大切に扱われたとき、初めて、再び前を向く力を取り戻すのではないだろうか。
これは、医療だけに当てはまることではない。
ホスピタリテイ業もまた、目の前にある要望や課題だけを処理する仕事ではないはずだ。
その人は何を感じているのか。
何を求めているのか。
何を大切にしているのか。
目に見える言葉や行動の奥にある「その人自身」に目を向けることから、ホスピタリテイは始まる。
この視点は、今日の「人的資本」という考え方を捉えるうえでも、重要な意味を持つように思う。
人を単なる「資源」として管理するのではなく、ひとりひとりを、尊厳と可能性、経験と意思を持った存在として捉える。そう考えるなら、救命救急医療とホスピタリテイ、そして人的資本という三つの領域は、決して遠くかけ離れたものではない。その根底には共通の問いが潜在しているのだ。
『人の傍らに立つ』とは、どういうことなのか。
『その鼓動に耳をあてよ』は、私に、この問いをもう一度突き付けてくる感を覚えた。
そして、それを、一人の医師との出会い、私自身の人生の記憶だけにとどめるのではなく、『人』という存在そのものに、私たちはどう向き合うべきなのか、そんなより大きな問いとして考えてみたいと思った。
本稿では、19歳のときに出会った一人の医師の歩みを起点として、救命救急医療とホスピタリテイ事業、それぞれの現場を辿っていく。それは、医療について論じることではなく、ホスピタリテイを語るためだけでもない。
人を『人』として尊重するとは、どういうことなのか。
その原点を探す旅でもある。
そして、その旅の先にあるものを、私は『その鼓動に耳をあてる』という言葉に託したい。
人の声にならない声に耳を澄ますこと。
目の前にいる人の、その先にある人生まで想像すること。
そこにこそ、「医療」の原点があり、「ホスピタリテイ」の源流があり、ひいては「人的資本」という考え方の基点もあるのでははいだろうか。
追記:
北川先生との出会いには、もうひとつ忘れることのできない事実がある。
当時、検査データには明確に表れてこなかった私の病巣を、先生は熱意と使命感によって見つけ出してくださった。そして、私は手術を受け完治することができた。
長年、人知れず苦しんでいた腹痛は、その手術を境に消え去った。
歳月を経た今でも思う。
あの日、先生が診ていたのは検査データだけではなかったのではいか。
データの向こうにいる「私」という、一人の人間を診ていたのではないか。
この記憶こそが、今回の論考の出発点でもある。
