「ラグタイム」が運んでくれたもの
ミュージカル『ラグタイム』大千穐楽
名古屋公演 マチネ(12:00)開演
この回で、『今の時代』へ何かを問いかける社会派ミュージカルの幕は降ろされる。
『芸術』との出逢いは、『人』との出逢いにも似て、初対面でグッと胸を掴まされ引き込まれ、恰も共に舞台に在る感覚さえ芽生えさせてゆくものだ。
直感は、自身の自我ではなく自然の計らい、天の思し召しが与えたもう叡智琴線に触れ、『問いかけ』の想いを深めるにつれ、このミュージカルのメインロールでもある『音楽』への思慕も高まってゆく。
ワンシーズン同演目で7回観劇は私史上初。『余裕あるね』なんて揶揄に近いことも耳にしながら(笑)ある意味、この観劇で『自分軸』の真意をも得たり。他人様の話には耳を向ける、但しそれに自身を委ねない、揺れない、みたいな軸が確固とした(笑)好きを探求するに他者の許可は不要、迎合も無意味。自分に素直がありのまま。。。
9月初旬、東京日生劇場にて幕を開けた。あの頃は照りつける厳しい残暑の中をノースリーブを着て出向いていた。あれから2ヶ月余りを経て、秋めく10月15日大千穐楽at愛知県芸術劇場。音楽、芝居、ダンス、舞台そのものは何層にも熟されていき、キャストさん等の思いの丈も相まって『重厚感』と『浮遊感』が交錯する淡い心象が私の中で渦巻いていった。そして、一握の寂寥感も…
『舞台は生きもの』だ。だからこそ直球の感動と余韻のしじまがリアルなのだ。一球一魂の如く、やり直し撮り直しのない『一瞬』の渾身を誰かへ届ける、舞台の凄みはそこに在る
歴史の一刻、人々の胸のうちへと調べを奏でた素晴らしい音楽、この美しいコードメロディの対比に、行き着く先のない人種間における諍い、差別、偏見の暗影。これは何も歴史上の事にあらず、今なお我々が直視し対峙し自らに問いかける課題だ。『自身は何ができるのか?
『正義』を貫くのは、ときに儚く虚しい。
『分断と分裂』『調和と融和』
幾世紀を経てもなお、なぜに人類は両壁への侘しい逡巡を繰り返すのだろう。『他を知る』『他に敬意をもつ』と、カッコつけて言いながらも、私とてどこかで値踏みしているきらいは否めない。人間の業は止まることを知らない。表の顔、裏の顔が表すように『仲良しの真の意味』すら希薄なものだ。
きっときっと『互いのありのままを認め合い尊重し合う環境』そんな世があらば蠢めく鞘など杞憂に終わるだろう。コロナという人類共通の難課題に挑んだ日を忘れてしまったのか。未知の、得体の知れないものにより命を落とすのも悲しく侘しい。他方で、同じ人間として生まれながら、おなじ人間の手にかかり生命を脅かされ傷つき失意の底へと落とされる無念さ宿怨は末代にまで至るだろう。不倶戴天の敵とは、まさにこの連鎖だ。
1900年初頭、白人、黒人、ユダヤ系移民、3つの異人種間の中に渦巻く交錯は2023年の今でも明らかに垣間見られる世界事情でもある。同じ人間としてこの世に生を受け、肌の色、宗教観、出自により自ずと線引きが敷かれ、それでも、もがき戸惑いながらも正義を翳し立ち向かう者。
劇中では、その執念は半ば復讐劇と化した私怨となり、標的をいち差別主義者の市民から、それらを包容する国家へと向けられるまでに至ってしまう。長年の積憤は愛する人を奪われた失望と重なり常軌を逸してしまったと言っても過言ではない。だが、少し考えてみよう。『差別偏見』『妬み嫉み』は、教養のある正しい人道を説いていた人間すらも根底から変貌させてしまうのだ。人道無視の禍に直面し、「教養」の名のもとで無意識にも抑圧されていた感情が吐露し暴発した。分からなくもない。後に別シーンでマザーが発した『人は感情が高まるとワーっとなってしまうものなのですね。自分でも驚いています』*愛情の場面で放った言葉だが前述の復讐劇への伏線に感じたな。
すべてがちょっとした掛け違い。
いづれの時代に於いても、世界中のどこかで戦争が勃発している。分断分裂を呼ぶ闘いに、融和と調和を叫ぶ人々。
その両者の思いですら温度差以前に根源が異なる。
主張するのは簡単だ。だが、他人の主張を真に聞き入れることは思うようには容易でない。
救いであったのは、エンドに『白人、黒人、アイルランド系、ユダヤ人、それぞれの子供たちが居て皆が仲良く集って次代を創っている、そんな映画を撮りたい』ターテ(ユダヤ系ラトビア人移民)が強く呟いた一言だ。この演劇が伝えたいことに一つに、「次代を生きる子供たちの未来が融和と調和の世界であるように」その祈りがこめられていると思う。艱難辛苦の時を経て来たからこそ、子供たち、他者への思いは一層に慈愛深くなるのではないか。
これが、本来の理想であろう。
どんな人種であろうと、貧富があろうと皆が集って同じ目標を共有し共に分かち合っていく。。。
心の嗚咽が止まらない。
自分史上、至高のミュージカルであったこと、間違いない。
国際紛争の現況と重なり、深い感慨と俄かな使命感を覚える。子供たちの未来が明るくありますように。