近年、ガストロノミーと言う言葉をよく耳にするようになりましたね。
『美食』と『ガストロノミー』の差異は何なの?と思われる方も少なくないと察します。生まれついての食道楽のわたくし。
加えて”ホテリエ”という食に近い仕事を長年ともにしている事もあり、ホテルビジネススクール時代より『ガストロノミー理論』を探究していました。簡潔に称すれば、『お料理、ワイン(日本酒などビバレッジ含め)お食事そのものを文化芸術の一画として考えること』でしょうか。音楽、絵画、彫刻、舞踊等々、一般的に芸術(ART)として捉えられる概念の枠組みに『食芸術文化』として考える。我々ホテリエは調理をク゚リナリー部門と呼称する場合もありますが、欧州の或る都市にはク゚リナリーに『ART』が付いていてク゚リナリーアートスクールと標榜する調理学校もありました。
他芸術と併記して記すと、確かにお料理はアートそのものです。素材を用いて人間の感性表現により作品としてキュージーヌが出来上がる。このお料理にはどのワインが最も両者を引き立たせるか、日本料理であれそれは同様。八寸と強肴でいただく日本酒をはじめとしたビバレッジは異なってくるでしょう。そういった【お食事】そのものが表現芸術である、それがガストロノミーの真骨頂です。
マスローの法則ではありませんが、人間の第一欲求(食)は、その素材(食材)に始まり、各国各地の郷土に根ざした伝統食、そこから派生する現代版など、食構成のヴァリューチェーン最上位に値するのがガストロノミーであり食芸術であります。
第一欲求を満たすものが根幹にある=健康であること(Well-being)、食療法にも繋がるMedicalCareの側面、また、食材を育む生産者さんとの関係性(Human relationship)など、社会的繋がりの展開をもついわば究極のビジネスモデルでもあります。
ガストロノミーの語源はギリシャ語のガストロノミア。ガストロ=胃 ノミア=規範、支配
そう、食で胃を支配する=それほどまでに美味し麗し食事であること。
ガストロノミーレストランでは、食材、調理メソッド、料理のストーリー、勿論テクニックに優れ、ワインの歴史、テイストにも精通していることが肝要になって参ります。テロワールの粋を余すことなく料理で表現し、語り、余韻をもたせ、忘れ時の食時間を想い出の一頁になることにシェフ魂、サーヴィススピリッツを発揮し、そして彼らもそれを愉しんでいるのです。
格式高いレストランであるからと、その土地の郷土料理を疎かにする姿勢は見られず、逆に自ら土地の伝統食を探し食らいつき、海の幸山の幸の生産者さまの元を訪ねては食材そのものを知る、それに時間を惜しまない。
わたくしが出逢ったシェフの中にも何人かそのような極みがいます。小都市の地元民が通う定食屋さんやら炉端焼き屋さんで一緒に食事をとるときでも、彼は土地の食材をこの土地ならではの調理法を探るかのように食していました。フレンチシェフが炉端焼きの料理からヒントを得てフレンチガストロノミーに昇華させていく。ある時、旬のゴボウ、蓮根をからりと揚げて海塩のみで味付けし、てんこ盛りのグリーンリーフの上にトッピングされたサラダを食べました。まじまじとそのゴボウを眺めていた彼は、暫くして試食会のとき、旬の魚を背開きにしヴァプール、その背中にヌードル状にほそ~くカットし素揚げされたゴボウのボールが乗せられていた。
地産かつ旬の魚と地産ごぼうを用いて薫り高いテロワールを創り上げたのです。フユメ・ド・ポワソンをベースにサフランと白ワイン(シャスラー)、少量のバター等を材にして丁寧に創り上げらえたソースは、さすがミシュラン3星に貢献したスーシェフ。
私は彼の料理技術のみならず、料理に対する真っすぐな姿勢は【ザ・料理人】そのものかと感じ入っていた。
ホテル料理長となると、料理人+会社員=プロフェッショナルパーソン+ジェネラリストの側面も必須となり、彼が持つ引き出しを思う存分出し切るようにしてあげらえなかった、その事に一抹の悔いが残っています。
あの飽くなき料理への向き合い方は芸術の世界そのもの。
一方、スイスでは2023年ミシュラン2☆に輝いた双子シェフのドミニク。
彼が創作し調理創り上げるフルコースを初めていただいたのは、彼の前職であるトゥ―ン湖畔のレストラン。
30歳?いや29歳? 彼はそこのスーシェフを務めていました。
中央スイスに位置するトゥ―ンもまた乳製品を中心に野菜、果物など地産食材に不足はない。
芸術的な逸品がアミューズからミリャヌデイーズまで続いた。細やかな手仕事が施されたキュージーヌは五感を刺激し、最高の旅の一場面となっていった。アヴァンデセールをドミニク自身がテーブルへ持参。
地産ヨーグルトのソルベに裏山で採れたヨハネスベーレ(木苺みたいなベリー)、ここでしか体験できない食アートに興奮のボルテージは上がりまくり。
『彼はもっと高みにいくだろうな』
その時の直感は正夢になっていった。今では双子のファビオと一緒に5星ホテルエグゼクテイブシェフ、ミシュラン2星、
前職時のキッチンも見せてもらったが、営業終了後のそこは今日開業しましたか?と聞きたくなるほどにピカピカに磨き上げられていた。あの瞬間も私には特別なご馳走に思えました。プロの世界をまざまざと見せつけられた、とはこのことです。
照れ屋さんのドミニクからは想像できないほどのストイックさと食材を活かしゲストを至福にするマジックを駆使するその御業は、
頂くものの心をとらえて離さない。これぞガストロノミーです。
翌年もドミニクの料理と出逢いたが為だけに、タイトな日程の中をトゥ―ンまで足を運んだ。七夕の彦星に会いに行く織姫の心境にも似て。。。
昨年、ドミニク&よしこファミリーを訪ねた際、彼は車で1時間近くも走らせた先にある『フォレレ(鱒)』で有名な村の小さなレストランへ連れて行ってくれました。そのレストラン探しも安直に決めるのではなく、じっくりと探究して決めている様子に感謝の気持ちは高まり。
格式高いレストランではないが、ゴミョポイントもありミシュラン1星? その評価などより、兎にも角にも地元の鱒料理の美味しいこと、サラダの盛り付けも美しい。シェフからのギフト、胡瓜のガスパチョも涼やか。地産食材をフォレレブラウ(蒸した鱒に熱々のバターソースをかける)といわゆるムニエルの2種をいただけた。ガルニの茹でジャガは素材の旨味が溢れ出んばかり。
プロシェフは探究心に熱い。人との競争よりも自己との格闘に闘志を燃やしている、競うことが高みへの階段であること、それを感じ入る瞬間。
ガストロノミー食文化の芸術解釈。
芸術でなくて何と称すればよいのだろうか。食は文化であり芸術、そして命のはぐくみ。

真上から。レモンをくり抜き魚のムースリーヌをスタッフド。表面に焼き目を入れトップにキャビア、アイスプラントでデコ

季節のアスパラガス、ピーなどをあしらい、ジュドブフに燻し豚を煮詰めたもの。ピーにはソースヴァンブラン
モリーユ、ペコロスなど。お肉の上にはペッパーではないよ。アマランサスだったか。
すべてに芸術作品です。味は無論、絶品です。
