数多の経験を重ね、ホテル総支配人という立場を経て、私はそのホテル事業会はの経営者となった。
その延長線上で、現在、私はホスピタリテイ資本、そして人的資本経営を提唱するアドヴァイザーとして活動している。それは理論から導いた考えばかりではない。危機の中でも『ホテリエ』として持ち場を守り続けたスタッフたちの姿、そして、40年近く前、北川喜巳先生がわたくしに向けてくださったまなざしから得た確信である。
今、多くの企業組織を見る中で、私には一つの実感がある。
人を制度や数字でしか管理しない組織は、危機の時に脆い。逆に、ひとりひとりを尊厳ある存在として受けとめ、その成長に本気で向き合ってきた組織は、危機の時にこそ、想像を超える力を発揮する。震災の日、被災地に立ち続けた北川先生も、休館の中で懸命に対応したホテリエたちも、誰かに命じられたからそうしたのではない。
日頃から自らの仕事に誇りと使命感をもって向き合っていたからこそ、あの瞬間、自らの意志で持ち場に立ち続けられたのだと思う。
「人的資本」経営とは、単に人事制度を刷新することではなく、平時におけるひとりひとりへの向き合い方そのものが、有事の底力になるというある種の経営哲学でもある。
医療の現場でも、ホスピタリテイ事業の現場でも、そして企業・組織経営でも、この一点において、人を活かす思想はすべてにつながっている。
人を制度や指標で管理するのではなく、ひとりひとりをかけがえのない人間として受けとめること。
人を成長させるのは、突き詰めれば本人の意思に他ならない。マネジメントに委ねられているのは、その意志が芽吹く機会を整え、歩みをじっと見守り、支え続けることである。それが「人的資本」経営の本質であり、これからの医療にも、ホスピタリテイ産業にも、あらゆる人と関わる仕事に於いても、等しく求められる要となる思想であると、私は考えている。「掖済」という二文字には、その思想を照らす言葉が包含されているのではないだろうか。
映画のタイトルである『その鼓動に耳をあてよ』は、今の私には、あの日とは少し異なって聴こえる。
鼓動とは、心臓の音だけではない。人が生きようとする意志であり、言葉にならない願いであり、失われそうになりなあがらも守られる尊厳の声でもある。
その小さな鼓動に耳をすませること。そこから医療ははじまる。そしてまた、そこからホスピタリテイも始まり、人を活かす組織づくりも始まるのではないだろうか。
40年前、一人の医師との出会いは、私に医療を教えてくれたのではなく、「一人の人間の傍らに立つことの意味」を嫋やかに教えてくださったのである。その志は、幾年にもわたり私の心の中で息づいている。
だから私は、これからも、その鼓動に耳をあて続けたい。
それが、40年前に受け取った志への、私なりの感謝であり、未来へ継承していきたい「ホスピタリテイ」であり、「人的資本」の思想なのである。
編集後記
この論考を書き終えて、あらためて多くの方々への感謝が胸に浮かぶ。40年近く前、19歳の私と真摯に向き合ってくださった北川喜巳先生。長い歳月をともに歩んできたホテリエの仲間達。私たちを育んでくださったお客様。そして、これまで関わってくださったすべての皆さまと、家族に、この場を借りて、心からお礼を申し上げたい。
「医療」と「ホテル」両者を異なる立場で経験してきた身として、その根底に通底するのは「ホスピタリテイ」であると感じている。コロナ禍でも、大きな災害のときでも、医療もホテルも、同じような困難ななかで人と向き合ってきた。そして、ひとの門出を共に喜べることも両者には共通している。
これを機に、「医療」と「ホスピタリテイ」そして、我々の健康には欠かすことのできない「食」、これらの要素をもっと深く探究していきたいと考えている。人生100年時代、観光においても「ロンジェヴィテイ」=長寿社会にあって、その交わる点にこそ、これからの社会課題に向き合うヒントが潜在しているのではないかと考えている。
命の最前線であり、希望の扉であり、人を診るという行いそのものである「救命救急」と「医療」の等身大の姿を、これからも「ホスピタリテイ」の視点から届けていきたい、そう強く考えている。
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