ホテルという仕事に携わるようになってから、私は折に触れて、「ホスピタリテイとは何か」を、問い続けてきた。
「おもてなし」
「心配り」
「期待を超えるサーヴィス」
ホスピタリテイは、しばしばそうした言葉で語られる。
しかし、それらはいずれも「ホスピタリテイ」が形となって現れた結果であり、その本質ではないように思えてならなかった。
その答えを探し続ける中で、私はスイスのホスピタリテイ史を研究する機会を得た。そして、一つの興味深い事実と出会う。
Hospital(病院)、Hospice(ホスピス)、そしてHospitality(ホスピタリテイ)
一目では異なる世界に見えるこれらの言葉は、いずれもラテン語のHospesを語源としている。
Hospesとは、「客」と「主人」という相反する意味を一つの言葉の中にあわせ持つ不思議な言葉である。
「迎え入れる者」と「迎え入れられる者」、「支える者」と「支えを必要とする者」その関係性そのものを表わしているのである。
この語源から、「Hospital」は傷つき、病にある人を受け入れる場所となり、「Hospice」は人生の終末期に寄り添う場所となった。そして、「Hospitality」は、それぞれの事情や思いを胸に訪れる人を迎え入れ、その人が安心して過ごせる時間と空間を提供する営みへと発展していった。そのカタチは異なっていても、源流に流れる思想は一つなのだ。
目の前にいるひとりの人間をありのままに受けとめ、その人がその人らしく歩みつづけられるよう、寄り添うこと。
私はこの語源に触れたとき、医療とホテルは似ているのではなく、もともと同じ人間観から生まれた営みなのだと気づかされた。
勿論、命を救う医療と、安らぎや安心を提供するホテルを同列に語る事はできない。その責任の重さも、社会に果たす使命も大きく異なる。 しかし、その根底には共通する願いがある。目の前にいる人を、ひとりの人間として受けとめること。そこからしか、本当の意味で【人を支えること】は始まらない。
ホテルにもさまざまなお客様が訪れる。 祝福に満ちた旅の途中にある人もいれば、大切な人を見舞うために宿を求める人もいる。仕事に疲れ果てた人、人生の節目に立つ人、あるいは、誰にも語ることの出来ない事情を胸に、一夜を過ごす人もいる。
私たちが迎えているのは、『宿泊客』という存在ではない。 それぞれの人生を生きる「ひとりの人間」である。
その人の背景に思いを巡らせることなく、形式だけ整えた接遇を重ねても、ホスピタリテイは生まれない。目の前の人が何を求め、何に苦しみ、何を願っているのか。 その声にならない思いに耳を澄ませ、その人にとって何が最善なのかを考え続けること。
私は、それこそが「ホスピタリテイ」の本質なのではないかと思っている。
そう考えるようになったとき、遥か昔に北川先生が私に向けてくださったまなざしの意味も、ようやく理解出来た気がした。先生が向き合われていたのは、病だけでなく病を抱え不安のなかにいるひとりの人間と向き合っていらした。その姿勢は、私が「ホテリエ」という仕事を通じて学び続けてきたホスピタリテイの思想と、深いところで静かに繋がっているように思えてならない。
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