人を受けとめる医師の使命

医療の世界には、長らく『花形』と呼ばれる診療科が存在してきた。高度な専門技術を磨き、一つの領域を極める医師たちは、医学の発展に大きく貢献してきた。 その一方で、『救命救急』という分野は、昼夜を問わず、あらゆる患者を受け入れ、その時々における最善の判断を求められながらも、その専門性や社会的意義が十分に語られてきたとは言い難い領域であった。

救急医がつないだ命は、その後、それぞれの専門診療科へと引き継がれていく。 然し、その最初の瞬間、患者が生死の境におかれ、まだ何が起きているのかさえ明らかではない時間に、その人を受けとめ、命の可能性を繋ぐ役割を担っている。それが、救命救急なのである。 ここは、医療の入り口であり、患者にとっては希望となる最初の場所であるのではないだろうか。

その道は決して容易なものではない。救急医には特定の臓器のみを診るのではなく、内科、外科、脳神経、循環器、小児、外傷など、幅広い医学的知識をもとに、限られた時間の中で判断する力が求められる。

『救急で何でも診る』という言葉は、ときに誤解を生むことがある。 その『何でも』は、専門性がないという意味ではない。むしろ、刻一刻と変化する患者の状態を見極め、今この瞬間に必要な医療を選択し、その命を次の治療へとつなぐ、『救命救急』だからこその高度な専門性を意味している。

一方で、夜間や休日を問わない勤務、生死に直結する判断の重圧、常に予測不能な状況と向き合う責任の大きさから、救急医療の担い手不足は長年の課題となっている。 医師を志す若者のなかには、より生活との両立がしやすい診療科を選ぶ者も少なくない。そこには、働き方の問題だけではなく、救急医療という領域がもつキャリア形成の厳しさや、社会から十分な理解がなされてこなかった歴史も関係しているのではないだろうか。

だからこそ、その道を自らの使命として選び、歩み続けている医師たちの存在には、特別な意味があると思う。
北川先生もその御一人である。 19歳の私と向き合ってくださったひとりの研修医は、その後、日本の救命救急医療の発展に尽力され、多くの命を支える存在となられた。 それは、華やかな道を選ばれたというより、『誰かが担わなければならない責務』を、自ら引き受け続けてこられた歩みであるように思う。

映画【その鼓動に耳をあてよ】のなかで、ある医師が印象深い言葉を語っている。

『救急で何でも診るという”何でも”には、社会的な問題も含まれる』

この一言は、救命救急という医療の本質を端的に表している。
救命救急センターへ運び込まれてくるのは、傷病を負った患者だけではない。 独居高齢者の孤立、家庭内暴力、虐待、依存症、精神疾患、生活困窮、、、、 身体に現れた症状の背後には、その人が置かれた環境や、人知れず抱え続けてきた苦しみが横たわっている。

救急医が診ているのは、病変だけではない。その症状の奥にある人生や背景にまで目を向け、ひとりの人間としてうけとめようとする姿勢が求められるのである。

そう考えると、『救命救急』とは、単なる専門診療科に留まることはない。
人生の危機に直面した人にとって最後の拠り所となり、その命と尊厳を守ろうとする営みではないか。
そして、そこには高度な医療技術だけでは成り立たない人間への深い敬意と責任が息づいているのだ。

思い返せば、19歳の私に向けられた北川先生の姿勢も、まさにそうしたものであった。診察されていたのは病変だけではなく、不安のなかにいる一人の若者を受けとめ、その人にとって何が最善であるかを誠実に考え続けておられたのだと思う。 

それは単なる医師の優しさではない。目の前の人の苦しみを受けとめ、その人の未来に責任を持とうとする「医療者」としての揺るぎない使命感であったのではないだろうか。

そして、その姿勢は、後に私が『ホテリエ』という仕事を通して探究することになる『ホスピタリテイ』の思想と、一本の線でつながっていることに気づかされるのである。

人を迎えること。人を支えること。人が最も不安で、最も弱っている瞬間に寄り添うこと。
その本質において、救命救急医療とホスピタリテイには共通するものがある。
それは『目の前にいるひとりの人を、かけがえのない存在として受けとめる』その姿勢である。