― スイス・ホスピタリティから日本への提言 ―
ホテル観光産業はいま、大きな転換点に立っている。
世界規模で進むホテル投資、所有と運営の分離、急速なデジタル化、そして深刻化する人材不足。ホスピタリティ産業を取り巻く環境は、この十数年で大きく様変わりした。
本連載では、The Chedi Andermattの新ゼネラルマネージャー就任という一つの人事を起点に、その背景にある資本の動き、人財育成の仕組み、そしてスイス・ホスピタリティの本質について考察してきた。
一見すると、それぞれは別々のテーマに見える。
しかし、それらを一本の線で結ぶものがある。
それは、「人をどう育て、どう未来へつないでいくか」という経営の姿勢である。
スイスには世界中から投資が集まる。
ホテルのオーナーは変わる。
経営会社が変わることもある。
時代とともに経営環境も大きく変化していく。
それでも、長く世界から選ばれ続けるホテルには、一つの共通点がある。
人を経営の中心に据えていることである。
もちろん、すべてのホテルがそうではない。
短期的な収益を優先し、人をコストとして捉える経営も存在する。
その違いは、すぐには見えないかもしれない。
しかし数年後、組織の活力、サービスの質、ブランドへの信頼、そして企業価値という形で、確実に表れてくる。
ホテルという事業は、施設を提供する仕事ではない。
人が心地よい時間を創り出す仕事である。
だからこそ、設備への投資やDXの推進、サステナビリティへの対応がどれほど進んでも、その価値を形にするのは現場で働く一人ひとりである。
近年、日本の観光産業は大きな成長の機会を迎えている。
一方で、人材不足は今後さらに深刻化し、経営環境はより厳しさを増していくだろう。
海外資本との連携も進み、ホテル経営はますますグローバルな視点を求められる時代になる。
だからこそ、いま改めて問い直すべきことがある。
私たちは、どのようなホテルを未来へ残したいのだろうか。
豪華な建築だろうか。
世界的なブランドだろうか。
もちろん、それらはホテルの魅力を構成する重要な要素である。
しかし、それだけでは、人の記憶に残るホテルにはならない。
ゲストの心に残るのは、名前を呼んで迎えてくれたスタッフかもしれない。
何気ない会話の中で安心感を与えてくれたサービスパーソンかもしれない。
料理に込められた作り手の想いかもしれない。
ホスピタリティとは、人が人に届ける価値である。
その価値は、一朝一夕には生まれない。
日々の対話があり、挑戦があり、失敗を受け止める風土があり、先輩から後輩へ知識や技術、そして誇りが受け継がれていく。
その積み重ねが、やがて「人を育てる文化」となる。
私は、スイス・ホスピタリティから学ぶべき本質は、教育制度やホテル学校だけではないと考えている。
人を育てることを経営の根幹に据え、それを組織文化として受け継いでいく姿勢である。
変化の激しい時代だからこそ、企業は変わらなければならない。
しかし、変えてはならないものもある。
それは、人を信頼し、人の成長に投資し、人を育てる文化である。
その文化こそが、どれほど時代が変わっても、ホテルの価値を支え続ける。
本連載は、一人のゼネラルマネージャーの就任というニュースから始まった。
しかし、その背景を読み解くことで見えてきたのは、ホテル産業の未来は、建物でも、ブランドでも、資本だけでも決まるものではないという現実である。
未来をつくるのは、今日も現場で後輩を育てている一人の先輩であり、新しい価値に挑戦する若い世代であり、その成長を信じて機会を与える経営者である。
人が人を育て、その文化が次の世代へ受け継がれていく。
その営みこそが、ホスピタリティの本質であり、未来を支える最も確かな力なのではないだろうか。
