― スイスに学ぶ、ホスピタリティ人財育成の本質 ―
ホテルマネジメントにおいて、最も重要な経営資源とは何だろうか。
私は30年以上、ホスピタリティ業界でベルガールから総支配人、そして経営者まで、さまざまな立場を経験してきた。その歩みを通して確信しているのは、組織やサービスの価値を決めるのは、いつの時代も「人」だということである。
どれほど魅了され目を惹く建築や設備を備え、世界的なブランドを掲げていても、ゲストの心に残る価値を創り出すのは、そこで働く一人ひとりの人間である。
第1回では、The Chedi Andermattに新たなゼネラルマネージャーとして就任するトーマス・ゴヴァル氏のキャリアを通して、「現場を知るリーダー」の重要性について考察した。
第2回では、その背景にある外国資本の流入と、ホテルの所有構造が大きく変化してきた歴史を振り返り、ホテルという資産が世界規模で投資対象となる一方で、その価値を支えるのは依然として「人」であることを述べた。
では、その「人」は、どのように育まれるのだろうか。
私は、その答えは一つの学校や一つの企業にあるのではなく、スイス社会に根付く「人を育てる文化」そのものにあると考えている。
世界最高峰のホテルマネジメント教育機関として知られるEHL(ローザンヌ・ホテルスクール)、象徴的な存在である一方、その真価は【学校】=ブランドにあるのではない。Education Systemにあるのだ。教育と実務が密接に結びつき、学生は教室で学んだ理論を現場で実践し、現場で得た経験を再び学びへと昇華させる。その循環こそが、スイス・ホスピタリティの大きな強みなのである。このEducation Systemは何もEHLに限った事ではなく、スイスに点在するその他ホテルビジネススクールにも同じように言える。
トーマス・ゴヴァル氏の歩みも、その考え方を体現している。
高校卒業後、すぐに大学へ進学するのではなく、英国やドイツで実務経験を積み、その後EHLへ進学。在学中も海外ホテルでインターンシップを経験し、卒業後は宴会サービス、レストランオペレーション、F&Bスーパーバイザーなど、ホテル運営の最前線で経験を重ねながら、着実にマネジメントへの道を歩んできた。
華やかな肩書からキャリアを始めるのではない。
まず【現場】を知り、【人】を知り、【サービス】を知る。
その積み重ねが、やがて組織を率いる力へとつながっていく。
私は、この考え方こそホスピタリティ産業における人材育成の本質であると考えている。
私自身、接遇部ロビーサービス課ベルガールとしてホテル人生を歩み始めた。
宿泊、料飲、営業、管理部門など、それぞれの立場には、それぞれの苦労と喜びが相重なるようにあった。その経験を積み重ねながら総支配人となり、さらに経営という立場からホテルを見つめるようになっても、一つだけ変わらなかったことがある。
それは、現場を理解しない経営に、本当の意味で人はついてこないということだ。
ホテルは、マニュアルだけでは動かない。
組織図だけでも動かない。
現場で働く一人ひとりへの理解と敬意があって初めて、組織は力を発揮する。
近年、世界のホテル業界では人材不足が大きな課題となっている。スイスも例外ではなく、多くのホテルが外国籍スタッフとともに運営されている。採用競争が激しくなる今だからこそ、本当に問われるのは「いかに採用するか」ではなく、「いかに成長できる環境をつくるか」ではないだろうか。
人は管理されることで力を発揮するのではない。
信頼され、挑戦する機会を与えられ、その経験を見守り、支える先輩や上司がいてこそ成長する。
だから私は、「人材育成」という言葉よりも、「人財育成」という言葉を大切にしたい。
人を労働力として捉えるのではなく、組織の未来をともに創る財産として育む。
その思想こそが、スイス・ホスピタリティが長年にわたり世界から評価され続ける理由の一つであり、これからの日本の観光・ホスピタリティ産業にとっても、大きな示唆を与えてくれる、と私は考えている。
ホテルの価値を決めるのは、建物でもブランドでもない。
人である。
そして、その「人」を育てることのできる組織だけが、時代を超えて選ばれ続けるのではないだろうか。
次回、最終回では、
外国資本、経営、そして人財育成という三つの視点を踏まえながら、スイス・ホスピタリティの未来、そして日本の観光・ホスピタリティ産業への示唆について、私自身の考えを述べてみたい。
