『あれから10年の歳月が流れたのか』、私の脳裏をいち早く駆け抜けた言葉である。
150周年を迎えた翌2015年は前職『雲仙観光ホテル開業80周年』の佳節の年であった。事業指針として『原点回帰』を掲げ国際化への足掛かりを託された私は、それに相応しい記念事業催行すべく『国交150周年』を後ろに、各所との協議に駆け回った。
カウンターパートナーとなって併走してくれたスイス政府観光局長Fabian(当時)JAZZ好きのオーナーへの祝いの気持ちを込めて、スイスからモントルージャズフェスでも活躍したバンドを招聘。駐日スイス特命全権大使ブーヘル閣下ご夫妻(当時)、ホテルのある雲仙市からは市長はじめ来賓の皆さまと宴を楽しみにお運びくださった地元の皆さまと一夜限りの宴を開催した。
JAZZバンド招聘に際しては、スイスエア代表の岡部さま(当時)のご高配をいただき、総勢20名近い(Spouse含む)ミュージシャンがスイスシャレー様式のクラシックホテルのホールでハーモニーを奏でてくれた。
企画立案は独自で行っても、具現化に至るまでの工程には数えきれない方々のご厚志とご尽力をいただいた。そのご縁が10年の歳月を経た今でも息づいていること、それが私には『友好160周年記念』でもあるのだ。
10年の歳月はイノヴェーションを加速し、ジェネレーションの移行、勝ち組負け組の在り方からサステナビリテイに根ざした共創社会へと変貌を遂げている。直面する少子高齢化社会、気候変動、尽きることのない戦禍、疫病など国家間を超えて討議協議する機会も増している。その一つとして、2月下旬、在大阪スイス領事館にて開催された『Davos 2024 Debriefing 』ダヴォㇲ会議2024報告会へお招きいただき参加した。それまで、平易な言い方をすればDavos会議は各国各企業の偉い方が集ってミーテイングをしている、その感覚であった。まあ、年次総会の位置づけであるので強ち間違ってはいないとは思うが、このセッションに参加して、前述の考え+αの知見を得ることができた。+αの感動度は相当に大きなものである。
Davos会議は、国際政治経済トピックスに限定されず、社会文化、企業倫理、構造社会、教育など多岐にわたる課題セッションの場であること。各国、各企業はブースを設け各々プレゼンテーションアワーを催行し互いの認知も含め繋がりを創っていく。
Japanブースは、世界遺産にも登録された和食の振る舞いを行うも、会議参集者はそれらをつまんで通り過ぎていく、その傾向が高くみられたこと。要因としては、①語学力の問題 ②日本美徳でもある『慎ましさ』がある種の弊害となっている
報告会でテレ東の豊嶋キャスターから提起された、□ Climate Change → Climate Crisis もはや地球は気候変動などではなく気候危機の段階にきていること。このワードからサステナブル社会共創へと繋げていく。 また、3G:①生成AI ②Greenery environment ③ Geopolitics、この3項が2024のコアアジェンダであることも紹介された。
結びに、To participate in this kind of international events become a valuable Asset. 臆することなく、専門性に磨きをかけて斯様な国際会議(イヴェント)に参加することは、各々にとって価値資産となる。大変含蓄のある言葉でくくられた。
異文化交流には他者認識と共に、課題提起力、質問力に代表される高い自己資質が必要となってくる。それには自己研鑽に加えて、他世界を知ることが大切になってくるのではないだろうか。いつも同じ村の中にいる、或いは仲良しの人たちと戯れるのも悪くはない。
が、それを交流とは呼称できない。『群れる』のと『交わる』の差異だろう。
父親譲りの好奇心、母親譲りの探究心。いやはやDNAとは普遍の仕組みでありまする。
『日本スイス国交160周年』図らずも独立して半年の私には、10年前とは異なる立ち位置でスイスホスピタリテイのイノヴェーションとサステナビリテイラグジュアリーに研鑽を積んでいる。

