ラグジュアリーの本質とは?
昨今、インバウンドビジネス好調も後押しして「ラグジュアリー・ツーリズム」について問われることが増えた。
私はかつて重厚な「歴史と伝統」を持ちながらも、「地の利」に優れず「利便性の非アドバンテージ」も手伝ってか、その特色を活かしきれないままに時を重ねたホテルの運営を任された。地方社会は他方面との交流が都会ほど盛んとは言えない。その分、己のもつ本質を日常と考えてしまう傾向が否めないのだ。「他を知る」ことは「己を知る」機会でもある。狭い社会の中に在ると多角的な見方にも偏りが生じやすい傾向は往々にして高い。「知らないこと」が問題なのではなく『知る』意欲やら『知る』機会創出が希薄であることに課題はある。自身のテリトリーの外から来訪する『人』『もの』『こと』に知るアンテナを張る。貪欲に知ることだ。その上で地域特性を産み出し独自性を演出する、いわばホテリエにとって大切なエンターテイメント性の引き出し。その色彩の重なりが唯一無二のホテル時間を創出していくと私は思う。
「ラグジュアリー」とは、先ずもって、基本的なフルサービス接遇を習得。それらを円滑に遂行したうえで各自が持つホスピタリテイマインドの引き出しをどれだけアウトプットできるかだ。一流のサービス+訪問者の居心地を期待感以上に高めるホスピタリテイの相乗があってこそ、ラグジュアリーの基盤は整うと言えよう。一流サービスだけで「心」がなおざりでは慇懃無礼、ロボテイックなマニュアルとなってしまう。そこに人間であるからこその色彩鮮やかなホスピタリテイハートが加味され、両者間に💛のキャッチボールがかなってこそ、ラグジュアリーは体現されていくのかと考える。
☆のランク付け、はたまた価格設定の高額さ=ラグジュアリーではない、と私は考える。
すべてはお客様(カスタマー、ゲスト)が「どう感じるか」、で、決まるのではないか。無論、基盤であるサービススタンダードの構築と実践があることは言うまでもない。そして、それらを駆使し演出を創造するのはヒューマン。そのリソース発掘と育成が成熟への道にはKEYとなってくる。
