スイス観光名所の一つ『ルツェルン』美しい湖と背後に控えるアルプスの山々、夏場には世界中から著名な音楽家が参集し
およそ1か月間にわたりクラシック音楽の祭典『ルツエルン音楽祭』でも名を馳せる。観光客で賑わう表通りとは一画をなす旧市街の佇みは、往時から文化と景観が伴走する瀟洒な街並を讃えている。

ルツェルンから鈍行列車、小車両で運行されるいわゆるローカル線に乗り換え凡そ20分、このホテルがある村Stansに到着。
たった20分を経て、都会の喧騒とは打って変わる村人の営みを感じる静かな駅。郊外地特有の小さな商店がポツンポツンとあるものの、ここに観光客と思しき人物は私だけ?そんな思いを抱かせるほどにローカルコミュニテイを感じる村だ。

目的地のクリナリウム・アルピナムまでは駅から徒歩10分と事前情報は得ていた。が、どうも駅の反対側に出てしまったようである。おまけに雨も降り始めた。山の天気は女心。先ほどまで晴れて居た空は見る見るうちに雨雲に包まれ小雨は土砂降りに。
暫し駅の軒下で待機。太陽が顔を覗かせたタイミングで向こうのベンチに座る女学生に道を尋ねる。
『ここに行きたいのですが、道順を教えていただけますか?』
『わお、クリナリウムね。ここは斬新なところよ。そう、貴女、駅の反対側に出てしまっているので先ずは駅向こうへ渡って。。。』
『ほら、あそこに桃色の建物が見えるでしょ? そこを右に行くとモニュメントがあるわ。モニュメントの横に道標があるのでそれに従って真っすぐ行って!う~ん、15分位かな』
さすがに若い!ドイツ語交じりの英語で簡潔に分かりやすく説明してくれた。単語ドイツ語混じるはあるある。
彼女が教えてくれた通りに進む。

15分~20分歩いた先にGATEが見えた。ホテル!然とした標榜ではない。施設名が彫られた控えめな銅看板。
『Culinarium Alpinum』 1584年からこの村を見守る建物だ。建物と表したのも、この施設はそもそもはホテルではなく『修道院』
ゆえに隣には教会がある。シュタンス村の小高い丘上に立つこの歴史的資産建物。修道士減少により未使用期間が続く中、2020年、地域活性化を目的とする『KEDA財団』によりホテル/レストラン施設として復活させた。オーベルジュ構想に近いブランドコンセプトを持ち、その特徴は『アルプスの料理』遺産に焦点を当てている。一方で、宿泊セクターとしては、廊下、階段などパブリックエリアは往時の面影をそのまま踏襲し、客室内部を大幅にリノベーションしている。全14室。高品質のスプリングベッド、バスルームはシャワーのみだが広々とした占有率を誇り閉塞感など全く感じられない。シンプルでスタイリッシュであり、自然木を多用したファニチャーからは木の温もりと香りがそこはかとなく漂ってくる。テレビ・ラジオなどは一切ない。然しWi-Fiは完備されており滞在の不便さは微塵も感じられない。逆に、このような自然と共生する空間に居られる幸せを享受する喜びが前者を駆逐する。
清潔感、エコロジカルなフィロソフィー、地産地消への拘り、それらホスピタリテイの根幹をなすエレメンツは秀逸なものである。

バスルームに、通常ホテルには設置されているであろう歯ブラシ、石鹸、シャンプー類は何も置いていない。
フワフワに仕上げられたリネン類とコップがあるだけだ。廊下のに出て階段わきの棚に蠟紙に包まれたモノが沢山置いてあるのに気が付いた。
『石鹸ではないか。。。。』それも、ラベンダー、フランキンセンス、マンダリンの3種のアロマエッセンスを用いた手造り石鹸。
小さく片にされ包装されたそれが幾つも置いてあるのだ。ご自由にお持ちください。3泊する私は1種ずつ計3個を取り部屋へ持ち帰った。地域コミュニテイサロンでハンドメイドされた石鹸の端、それの有効利用だ。唸るほどの感激を覚え、その一つを手に泡立ててみる。何とも良い香りとともにクリーミーな泡立ち。どこぞのブランド品でもなく、それどころか商品名すらない。分かっているのは無添加でありローカルプロダクツを用いて地域の皆さまの手作りということのみ。だが、それが本当のところ唯一無二のブランド。他では手に入れることが難しい体験価値である。

直接ホテル予約をした私には、ウエルカムドリンクとして朝搾りたて林檎ジュースが部屋のデスクに置かれていた。
再利用する瓶を用いたそのアップルジュースの美味しかった事と言ったらない。濃縮還元ではない、スクイーズされた天然100%スイス林檎のジュース。その横には地図と望遠鏡。ここは桃源郷。唯一無二を創造する地方の在り方を体現し建設している。

ハーフペンションで予約。
レストランでのお食事は楽しみで期待感半端ないものであった。かつて修道士が集い食事をとった食堂。そこをリノベーションし地域色をブランドにレストランをオープンしている。そのコアとするものは、『地域との信頼性』『シュタンスが属する中央スイスの本物の食材、地域生産品であること』『有機農法』『アルパイン食材』これらを標榜とし前提としたク゚リナリーアーツを繰り広げている。
250種類を超えるベリーを中心とした果物農園を館の周辺に作り、そこから収穫された果物、果実を使いお料理、商品を作り上げる。
そのコンセプトは揺らぐことがなく、メニューも定番以外は『今日のメニュー』であったり、サラダにしてもその日によって内容が異なるのだ。言わば、それが『ホンモノ』たる証左であろう。
とてもシンプルなお料理。ルツェルン湖で水揚げされた淡水魚のタルタルなど、他ではなかなか頂けない地域ならではの逸品に舌鼓を打つ。バターも手作り。極めつけは、食前酒カクテル、アルプスの山から積んできたハーブや野草から作られた真っ赤なリキュールを出してくれた。すべてが特別感にあふれている。豪華絢爛ではない。が、それ以上に心の記憶としていつまでも輝き続ける『キラリ』が点在しているのだ。平日で宿泊客は少ないのでレストランも閑散としているのか、と思っていたら何のことはない。杞憂にすぎぬことであった、満席ではないか!お隣のご夫妻と話をする。ルツェルンからDinnerを楽しみに来ていると。

翌朝、ブレックファストに降りていく。
朝食はFor宿泊客の概念は見事に打ち砕かれ、朝8時に出向いたらすでにテラス席は満席であった。
近隣から朝食を目当てに次々と人が訪れているのだ。朝からドイツ語会話の中に投げ入れられた感の私は、
その心地よさの中で、これまたシンプルな朝食をいただくことになる。ブッフェであるが置かれているものは、フラッシェに入った各種フレッシュジュース、中には『かりん』ジュースもある。勿論のこと天然100% 裏庭で採れた木苺、ブラックベリーなど、地場産のさくらんぼ他、各種果物。地産ヨーグルト、ホテル手作りのスイス伝統パン各種。この地方名産チーズ3種、ナッツ類。サラダ。各種コンフィチュール、地元はちみつ、コーヒー、紅茶、ハーブテイ。。。それくらいだ。卵料理は別料金になる。
シンプルながら、こんな贅沢な朝食があろうか。生産者さんの顔がしっかりと見え(実際は見えないが、心の目は感じ取る)、安心安全な食事を、朗らかな人々と共にいただく幸せ。

スタッフさんの話によると、
『2020年OPEN以来、日本人は貴女が最初のゲストね。アジアからのゲストもほぼ居ないかな。スイス国内、ドイツ、オーストリア、イタリアなど近隣諸外国からのゲストがメインです』とのことだった。
確かに、レセプションなどを担務する人は英語を話せるが、レストランサーヴィスの女性(地元の方)殆ど英語はNGで、
『貴女、ドイツ語分かるのね。良かった』と、スイスドイツ語で超早口に話しかけてきた。レストランメニューもドイツ語表記がメインのようである。ヒストリックホテルとして継承し後世へ伝統を伝えていくことを一義にしているのか、FAR EASTからのインバウンドはマーケテイングイシューにないように見受けられた。それはそれで良いのではないだろうか。
自国ないしは自国ゲストを大切にすることは、地政学的リスクヘッジとも相重なるようにも思う。スイス国民のように『ホリデー』を取ることが慣習にある国家ゆえに、自国ゲストを一義にリピ率を上げる、それも経営手法として間違いではない。

『クリナリウム・アルピナム』
この施設へ日本からの誘客促進を図るというよりも、このビジネスモデルが大都市周辺以遠への誘客促進施策例として書き綴った。
要は、他と同じ事をしていては発展性はおろか支出ばかりでBCPとして成り立つのは難しいのではないか。
このホテル滞在中、偶然にも村の夏祭りに遭遇した。見世物のお祭りではなく観客と一体化するステージ作りに地域鉄道、観光局、企業の出資があったこと、司会者の冒頭挨拶で述べられていた。

もう一度、いや、何度でも帰りたい。そんな宿である。
あの光景はあそこでしか体感できないから。