チューリヒから北西へ25KM、豊かな水量と多種多様な淡水魚を有する”リマト川” その西岸アールガウ州に属するバーデン。バーデンの名の如く、古代ローマ時代より『硫黄泉』を主とする豊富な温泉場として名を馳せ、歴史家タキトゥスもそれを記しています。鉱泉場のあるリマト川近くの旧市街北部には温泉宿が開かれ、全盛期には温泉文化の中心地として反映の一画を成してきました。小高い丘に建つシュタイン城は、ハプスブルグ家の拠点でもあり1400年代と1700年代の2度にわたり破壊された経緯があります。
豊かな源泉と凛々しき流れのリマト川に育まれたバーデンの街、バーデン駅に降り立ち川沿いを歩くこと15分ほど、創業1421年、今年603年目を迎えたホテルがある。『BLUME』がそれだ。
Blume(ブルーメ)とは、英語の”Flower”を意味するドイツ語。花は花でも栄華咲き誇る『花』を連想させる、そんな香り立つホテルである。家族経営で成るホテルであるも、その経緯はいささか複雑である。他資本のない家族企業の買収を繰り返し継続の途を経てきたホテル代表格なのだ。現在は”The family business is founded in 2 generation.” 1972年、エルン夫妻は事業全体を買収し、従来のスパ(温泉宿)を超えホテル事業へと着実に拡大してきた。現在はその息子たちエルン兄弟、SilvioとPatrickによって経営運営されている。兄弟は共に、バーデンの街中はもとよりスイス国内、海外を含めキッチン、サーヴィスなど様々な職種経験を経て、それぞれがチューリヒ、ルツェルンにあるホテル専門学校にて学びを修めた。
わたくしが到着した際、Silvioはレセプション担当でいた。”おお、社長(GM)自らがチェックイン業務?”とやや驚いた言葉を発すると、”それが何か?私はホテリエですよ”とにこやかに変化球。これだよね。そう、これがホスピタリテイの源泉なのだ。
ゲストを迎え、会話を楽しみ、同じ時間を共感共創することに喜びを憶える、その志が根底にある中で、私が呟いた一言など愚の骨頂であろう。
『Dinnerはいかがなさいますか?』
『こちらは魚料理がお勧めって見ました。ぜひこちらでお夕食をとりたい。18:30にテーブル予約よろしくお願いします』
一頻り会話のっ妙を愉しんだ後、レセプション目前のエレベーターへ案内してくれた。見るからに年季の入ったいぶし銀。
『ちゃんと動くの?』
『タイムマシーンですよ』
洒落たジョークも飛び交う中、その箱の中へ乗り込む。1897年~1898年に設置されたシンドラー製リフト。126年前から稼働しているリフト(エレベーター)で3階へ。ゴットンゴットンと振動を感じるリフトに乗るのはさながら遊園地気分。
家の扉を開くように自分でリフト扉の開閉をする。これを見るだけ、いや、乗るだけでもヒストリック好きには堪らない。
とは言え、斯様な歴史的建造物には概ね見かける回廊と欄干、木の鳴く音が心地よい階段には絨毯が敷き詰められ、荷物のないときは決まって階段を昇降。地下には古代ローマ時代と何ら変わることのない温泉浴室が完備されている。モニュメントも置かれ、気分は『テルマエロマエ』の世界。クリスマスに近い寒さ厳しい時に訪れた私は、リマト川沿いを歩き凍え切った身体をこの浴室でポッカポカにしてベッドに入った。
総客室数32室。客室は現代様にフルリノベーションされており、居住には全くの支障はない。
パブリックエリア、エクステリアには文化財としての意匠を壊さず、修繕修復を繰り返しながらその粋を現代にまで伝え、一方で寝室または書斎でもある客室は時代のニーズに合わせて進化させる。これは言うは易し行うは難しのひとつ。
どうしてもデザイン(意匠)を考えると、オーナー(所有者)は面影を重視しがちになる。然しながらホテルは博物館やら美術館ではなく『宿泊施設』の側面を持つ以上、”居住”の快適性は重要視しなければならない、と私は考えている。室内の照明が暗くては何をするにも不便だ。そう言った細やかなニーズを事業推進の筆頭にしているのは、さすが実践と勉学の両面経験のある兄弟経営者と感心した。
夕餉の時間、
女ひとり旅のひとり夕食、結構慣れている私はギャルソンとの会話がお料理と共にひとつのご馳走でもある。
『アペタイザーはどうしようかな、お魚がお勧めなんですよね?でも、今日は温かなものをいただきたい気分』
『でしたら、本日のスープポテロンはいかが?』ポテロンとはかぼちゃのことである。
スイスのカボチャは日本のモノとは異なりホッコリ感がない。どことなく瓜のような食感でありスープにすると、濃厚ポタージュではない”すっきりポタージュ”の仕上がり。ナツメグなどのスパイスが利いて美味しいのだ。特に冷える冬季にはお薦めのスープ。
『では、アぺはスープで、メインは。。。。う~~~ん、やっぱりお肉が良い!フィレミニョンのグリルにする!』
ヒトサラ目には、シェフからのプレゼント、プレ(チキン)のカナッペを頂いた。
そして、スープ。鮮やかなオレンジ色水面から立ちあがる湯気。漂うかおり。。。
スプーンをそっと差し入れてみると、それの円部分は完全に埋まった。底までがかなり深いのだ。
えっ、この量は食べきれないかも。。。と左脳?右脳?は感じるも、摂食中枢には信号がいかなかったのか見事な完食。
温まる、ホッとする。過去最強のポテロンだわ。。。と浸りながら、目の前に現れたメイン”フィレミニョン”を見て言葉を失った。
『Oh, これは一人分?』
『とってもテンダーでジューシーなお肉ですよ。シェフ特製のヴァンルージュのソースにポレンタ付き』
『いや、うん、香りだけでもその美味しさは伝わってくる。うん、納得しているけれど、たぶん食べきれないと思う。。。そのときはごめんなさい』
『Don’t worry, you can leave it! 』
レギオールナイフをそっとお肉に通す。わあ、三デイアムレアの美しい断面とジュース。ソースヴァンルージュのコクと相まって、えも言えぬ美味しさだ。岩石のようなお肉をこれまた完食。それを見たギャルソン君、
『なんて素晴らしいんだ。シェフが大喜びだ!』
わたくしも大喜びよ。満足感にひたる『一人夕餉』は、いつしか一人ではなく何人もの人たちと共にある時間となっていた。
エルネ兄弟により深化と進化を続けるヒストリックホテル『BLUME』
先代から引き継いだ至宝に磨きをかけ、時代に合わせて近代化を図り事業の拡大も続けている。
美味しいお食事を提供するに留まらず、自社ブドウ畑で栽培された葡萄から作られたワインの提供も行っている。
ここにしかないユニークネス。ここでしか体験できない人生の時
600余年のアンビアンスの中で自分史に問いかけるひと時をヒストリックホテルは授けてくれるのだ。

回廊と欄干 グランドフロアにはアトリウムが設けられ1Fにはレセプション(受付)と回廊にそってテーブルが設えられている。
2~4階は客室フロア 館内を彩る植物に造花はひとつもない。毎朝、ホテリエの女性がお水をやっていた。ホームを想起するホテルなのかもしれない。ホテルとは本来、そういうものなのだ。

地階の浴室、古代ローマ時代からそのままの光景を携えて。テルマエロマエの世界観にひたる。


バンケットサール(宴会場)