スイス中西部”アールガウ・ゾロトゥン”州は連なるジュラ山脈の麓に豊かな史実と淑やかな趣をたたえる中都市である。
街の旧市街、壮麗な大聖堂の真向かいにあるこのホテルは、祖業としては1418年開業、現スタイルでは1772年にその歴史の扉を開いた。バロック様式の街。そこにどこかフレンチエスプリを漂わせる造りはスイス国内において、2番目に歴史あるINNとして知られている。
客室数は37室。スイスヒストリックホテルの中でも斯様な小規模帯に属するホテルの多くは、とても簡素なレセプションであり、時にはレストランと極近い場所でともすれば同じ従業員が業務を行うことさえある。
マルチタスク、と現代風な物言いをすればそれまでだが、いわゆる『ホテリエ』の原点なのか、とも思われる。
フロント=フロント任務、レストラン=レストラン任務と言ったセクショナリズムを取っ払い、ホテリエとしてホテルの業務担務に就く。小規模帯であるからこその利点でもあろう。建造物そのものは、現代仕様以降でも250有余年を経過している。
パブリックエリアの設え、階段の趣などは往時の面影を如実に残している一方で、客室に至ってはエレガントであり、またクラシックさとモダンさを上手く融合させ、その不自然さを感じさせない機能美を放っていた。
わたくしがアサインされたのは、離れ(と言っても、かつて納屋OR倉庫であった別棟)
ひとりで宿泊するには、やや侘しさを感じるほどにロマンチックムード漂うインテリアデザインであり、バスルーム周りもヒストリックホテルにありがちな機能性に難とは無縁、すっきり使い易く水回りの清潔感は特筆ものであった。
別棟の施錠は完全に客個人の自己責任に委ねられている。信頼されているがゆえに、その管理は尚更に重責だ。
相互信頼関係のもとにホスピタリテイは成熟していく、その考えを持つ人間である私には『暮らす』ホテルの手本にも思えた。”おもてなし”に称されるフワフワ感ではなく、人と人との信頼感が具現的な形となって示される。『ホスピタリテイ』の源流に大きな礎でもあると考える。
間接照明を含め、アンニュイなライテイングは柔らかな室内景観へと変貌を遂げていく。
初夏とは言え、まだ朝夕は肌寒さを感じる頃。部屋の小窓を開けてミグロ(スーパーマーケット)で調達したオレンジジュース、フォレレ(鱒)の燻製、ヨーグルトを置き天然冷蔵庫。
歴史ある旧市街の散歩は旅の醍醐味でもある。運に恵まれ大聖堂では司祭叙階式に遭遇した。荘厳な聖歌、聖歌隊の歌声が厳かに聴こえる中で、いつしか私自身もその祭り仲間のひとりとして加わっていた。マルクトでは市がが開かれ、州都の名産から美味し食べ物、手芸品、植物などのリアカーがわんさと並び、徐々に集まりくる人は増していった。
運がよかったのだろう。街のお祭りの日に宿泊なんて。。。。
アーレ川沿いに時代の変遷を見守ってきた都市。さまざまな民族の領地争いの舞台にもなるも1828年にはバーゼル司教座がおかれた事でも有名である。
きっと誰もが通り過ぎてしまう通過点でしかないだろう。だが、この可愛らしい旧市街をはじめ、かのナポレオン・ボナパルトも宿泊の記録を遺すこのホテル【Hotel La Couronnes】は変わる事無く健在だ。
本館?にあるメインダイニング、朝食は宿泊者オンリーもしくは優先されるが、ランチ、夕食は宿泊客でなくとも誰でも利用できる。
素朴ながら土地の恵みと実直なお料理には、飽きるどころかどこか安心感を覚える。いつしか隣の席の方々と話に花が咲き食事が食卓へとなっていくのだ。そんな小さな町ならでは、ヒストリックホテルならではの【ホテル時間】がそこにはあった。
旧市街のため、ソロトゥン駅からはバス、若しくは徒歩20分くらいを様子が、途中駅で想像もしない歴史の断片とヒストリックホテルの畏敬と、むやみに崩されない街の在り方を見る思いは、その後の私のホスピタリテイと創造性に大きな影響を与えてくれた。
Solothurn州、そこまでメジャーなエリアではないですが、壮大で清らかなアーレ川、連なる雄々しきジュラ山脈を仰ぎながら、
いしにえのローマ時代~ハプスブルク時代に想いを馳せる旅も、きっと心のアルバムを温める1頁となるでしょう。


