グラウビュンデン州フリムス、ベルエポックとアールヌーヴォー様式の瀟洒なホテルが開業されたのはおよそ120年前の1903年。
以降、創業主シュミット家により脈々とその伝統と格式、家族的な温かなもてなしで唯一無二のホスピタリテイを繋げている。
ホテルの立地は必ずしも良好とは言えない。保養地である特性上、大都市は勿論のこと中核都市からですら時間を要する。交通機関も限られる中で人々を魅了するホテル時間とは何だろうか?

前泊地のアンデルマットからクール行のローカル線赤い電車に揺られおよそ1時間15分。途中駅リアンツ駅で下車。
そこから路線バスに乗り40分間ほど、目的地最寄りバス停【Flims Caumasee】に到着。下調べではバス停からすぐ!とあるも、あまりにも閑散とする中では、その【すぐ】の距離感すら薄らいでくる。城郭のような壁に囲まれていて完全にLost Positionに陥った。取り敢えずバス停前のKIOSKに入りBrotとWasserを調達。店員さんにホテルへの行き方を英語で尋ねる。『???』会話が一方通行になっているようだ。グラウビュンデン州だよね~、ロマンシュ語話せないんだけど取り敢えずドイツ語で尋ねてみよう。。。と、思いっきりドイツ語で問いかけたら、満面の笑顔で『貴女、ドイツ語を話せるの!あら、良かったわ。ホテルはね、左に出て壁をぐるっと回った先にあるわよ。ローズ色の建物。ロマンテイックホテルよ💛』と、すっごい勢いのスイスドイツ語で返ってきた。ロマンテイックホテル💛ってちょっと異なるニュアンスじゃないの、なんて下衆の勘繰りは彼女のユーモアの前には只のアホウドリ。その後も、「あのホテルのスパは最高よ。タイ式スパは特にお勧め。私も週に1度は利用しているの」と、お店を飛び出して近くまで一緒に帯同してくれる。”店番は宜しいのですか?” ガチガチ頭の私はお店が気がかりながら、彼女とのほんの短い通い合いに解きほぐされていくのを覚えた。
「ありがとうございます。滞在楽しみますね。また会えます様に」
そう伝えて別れ、そこからものの5分も経たずしてホテルにチェックイン。
小さな回転扉の前にもう一枚ドアがある。そう、ここフリムスエリアは夏は保養地、冬はスキーで活況を呈するRegionなのだ。
入り口には、加盟団体のプレートと共にアワードプレート、中でも私の目を付いたのは「TOP Ausbildungsbetrieb」=ホテル協会により高度なホテリエ教育研修施設の認定を示すもの。この取得はなかなかに困難だ。過去の成果は勿論のこと、現在においてもその工程に対して認定評価されていることを示すもの。ホテル学校の実践単位取得の場にもなっており、日々、研修生達の一途に懸命な姿とインストラクター役のホテリエさんの向き合い方に、ホテリエとしては目を細めて見つめてしまった。

総客室数50室、客室は時代に則した機能性を完備し居住としての不都合さは全く感じられない。初夏の訪問であったが山岳地特有の天候変化に半袖では肌寒さを感じるくらいだ。空気が澄んでいて聴こえてくるのはただただ自然が奏でるシンフォニーのみ。

広々としたロビーには120年の歳月を見守ってきた調度品が設えられ、向かって右手にはHall、左手にはダイニング。
そしてロビーを抜けて正面には中庭へと通じる扉がある。扉を開くと左右に伸びたバルコニー、そこではテイータイムもお食事も可能だ。グラウビュンデンの深い山並みと針葉樹の香りに包まれながら、誰かと会話をしお食事をいただくときの幸せは何ものにも代えがたい至福であろう。ホールにはいにしえからのピアノ、きちんと手入れが施され今もなお宴席やレセプションで使用されている。幾つもの肖像画が飾られたホールは歴史絵巻の一頁を体現する趣である。貴重な文献、品々も同様に館内至る所に飾られてQRコードから解説を読み取ることができる。ハプスブルグカイゼリン(ハプスブルグ皇妃)も旅の途中で立ち寄り宿泊された旨の手記が遺されていた。アルベルト・アインシュタイン、マリー・キュリー夫人なども夏季保養にこのホテルで過ごしていたとあった。
ヒストリックホテルでは、ホテルそのものの歴史を展示するだけでなく、ホテルに関わった偉人、偉業などについても開示してくれるのは旅人にとって想い出の財産になる。「あ~、私はその歴史舞台の中に居るのね」と、俄かに心躍ったりするものだ。

前述の通り、ホスト(オーナー)はシュミット家。1903年創業から現在は4代目クリストフさんが当主である。ホテルマネージメント学を修め、他ホテルでの研鑽期間を経て4代目に就任したのは2008年と言われていた。代々に渡り、この地に住みこの地に在って歴史の生き証人の伝承をシュミット家は紡いできた。「True to their values as a family -run- first-class hotel」=家族経営で繋ぐ本物の価値あるホテル、そう言われる所以はこの地、グラウビュンデン州フリムスの一員であるからに他ならない。
地に足が付いている、格言とおり120年間の歴史をシュミット家はファミリーとして共有している。スタッフが替わっていってもファミリーが繋いできたコアは何ら変わることも無ければ、それこそが本質であるのだ。

お夕食時、ひとつひとつのテーブルへ挨拶に回る彼の姿が在った。
予約時、事前に尋ねていたこともすべて把握されていた。そして、私のみならず、すべてのお客さまに対して彼はこの様に話をした。
「今夜20時過ぎには私も今日の仕事は終わります。皆さま、良かったらラウンジでお話ししませんか?今日は星がきれいですよ」
オーナーであり社長であり総支配人(?)である。
通常仕事だけでも数多とあるだろう。ゲストの食事時間終了を見計らって、最良の時間帯を想定してゲストと触れ合う時間を創出している。その心意気が100年を超える家族経営運営の軸になっているのかと深い感慨を憶えたと同時に、自己反省もあいまってウルっときてしまった。ノルウェーから2週間ステイで来られているご夫妻、古老のスイス人男性ひとり旅、ドイツからの家族などなどステイ客は多様だ。それぞれのテーブルで食事をとる我々はその時点で会話に及ぶことは稀である。が、シュミットさんの一声で、それまで知らなかった者同士が繋がれていく、老若男女、国籍の別なく「ホテル・ホテリエ」が創造し齎す国際交流だ。いや、そんな大げさな言い方をせずとも「交流」でいい。この化学反応を起こす魂はイノヴェーションとも言えるのではないか。
翌朝、ブレックファスト時間には互いに声かけ合って笑いがこぼれ話が弾んだことは語るまでもない。

保養地であるが故の特徴でもあるが、1週間単位での連泊者も少なくない。3連泊の自分は長い部類かと思っていたが真逆。「3泊で帰るの?」とノルウェーの方から声を掛けられる。ホリデーの捉え方、感覚も異なるのだ。「今回は視察メインのため数か所の宿泊施設を回るの。だからこちらには3日間が精いっぱいかな、円安だし(笑)」と、話は拡がっていく。食後のバンデリング(ハイキングのようなもの)途中までご一緒することになった。ホテルマジックがかけがえのない翼を齎してくれたのだ。

お夕食のメニューはコースメニューであれ日替わりだ。☆付キラキラメニューではないが、地元に根付いた料理を地産材料を用いて一工夫し提供してくれる。ローカル食材、食品で食の時間を愉しむ、これもとっておきのご馳走である。

決して利便性には富んでいない。抜きん出たグランドホテルでもない。
それでも『ここでしか』に出逢いに沸き立ち訪れる人が絶えないのは、シュミット家が代替わりのバトンをしっかりと繋ぎ、地域と共にフリムスで生きるホテルを貫ているからではないだろうか。5代目もしっかりとこの地で育っている。

Family-run-business、殊に人の真心を伝承していくホスピタリテイ事業は往々にして壁にあたることも少なくない。
が、然し前述のような場面に出くわしたときその価値は昇華されていく。

つまるところ、「人なり」なのかと思われる。


中庭に面したテラス席。鳥のさえずり、木々のせせらぎ、針葉樹の香りの中で命を磨く
階段と回廊 エレベーターも設置されております
スイスで最も美しいと言われるカウマ湖 ホテルから徒歩25~30分ほどです。泳いでいる人々も見かけます。どこまでも澄み切った、どこか神秘的な趣の湖です。
ブレックファスト 同じエリアにあるオーガニックパン屋さんから調達しています。ハードからスイートロールまで揃えています。
エントランスの先に拡がる悠久のロビー。波を打ったような静けさの中、人々の会話がこだまのように響いてくる。